野いちごを見つけた朝に起きていたこと|AEDP®を学ぶ中での今の視点から、振り返ってみる
体験会のために、日曜日の朝早く家を出ました。
いつもと違う時間に外に出て、
人のいない道を歩いているだけで、
なんだか得した気分でした。
早起きして仕事をすることへの自己満足と、
体験会への期待。
はじめての方が参加することへの緊張もありましたが、
思っていたほど気負っていないことに、
少し余裕のようなものも感じていました。
前日までに準備を終えられていたこともあって、
自分自身のクセや心地よさを意識できた感じも
余裕につながっていたのかもしれません。
四ツ谷駅からオフィスまでは、外濠公園を抜けていきます。
緑の中を歩きながら、
「何かないかな」とキョロキョロしていると、
草陰に小さな赤い粒が目に入りました。
近寄ってみると野いちごでした。
余裕を持って家を出ていたので、
立ち止まって確かめる時間があったのです。
スマホで写真を撮りながら、
小学生のときに、
近所の土手で野いちごを見つけたことを思い出していました。
あの懐かしくて、
ちょっと心が浮き立つ感じを思い出しながら、
また歩き出しました。
公園を抜けた道沿いに、石楠花(シャクナゲ)が咲いていました。
街路樹で石楠花を見るのは珍しい気がして、
しばらく立ち止まって見ていました。
深い赤の花がちょうど満開で、
朝早くて人もいなかったので、思いのままに写真を撮っていました。
イギリスにホームステイしていたときに出会った、
日本が好きなおじいさんのことを思い出しながら。
その人が好きだった花です。
オフィスに着くまで、ほんの7〜8分の道のりでした。
それでも、
ずいぶん長く、豊かな時間に感じられました。
こういうふうに何かを感じながら歩く時間から、
少し離れていた気がします。
また戻ってきている感じがして、
少しホッとしました。
記憶と一緒にわきあがってきた温かさを、
じんわりと感じていました。
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【AEDP®的な視点から|日常の体験を振り返るメモ】
以下、AEDP®を学ぶ中で、自分の日常体験をあとから振り返った個人的なメモです。
微細な変化はどのように起こるのか、起こったことをカウンセリングの中では、どんなふうに捉えて扱うのかの参考になるかもしれません。
今回は、
「こんなふうにも見えるのかもしれない」と感じていることを書いています。
理論の正しい説明というより、ひとつのレンズとして、読んでいただけたらと思います。
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今回あとから振り返ってみて印象的だったのは、野いちごを見つけたことそのものより、その前に、少し余裕や余白が生まれていて、そこから展開が起こったことでした。
いつもより早い朝。
準備が終わっていたこと。
思っていたほど緊張していなかったこと。
そうした小さな余白があったからこそ、普段なら通り過ぎてしまうものに気づき、懐かしい記憶や温かさが自然に立ち上がってきたようにも感じます。
AEDP®では、安全や安心が感じられると、playfulness(遊び心:何かないかな、と周囲に目を向ける感じ)や、vitality(生命感:身体ごと世界を味わったり、嬉しさや温かさが自然に立ち上がる感じ)のようなものが現れてくることがあると捉えます。私は、今のところそのように理解しています。
最後に、
「また戻ってきている感じがして、少しホッとしました。」
と書いていました。
戻る先は、
感覚や好奇心、
何かを見つけて嬉しくなる感じ、
身体ごと世界を味わう感覚、
そういうものだったのかもしれません。
この感覚は、以前はもっと身近にあった気がするのに、ホームページ作りや仕事のことで頭がいっぱいだったここしばらくは、少し遠ざかっていたようにも感じていました。
私自身が一番ホッとしたのは、
ああ、やっぱり、小さな余裕や余白があると、こうした playfulness や vitality は、無理に作ろうとしなくても自然に戻ってくるんだ。
そのことを、頭ではなく体験として、もう一度確かめられたことでした。
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こうした小さな余白や、
「少しホッとする感じ」は、
安心できる時間や関係の中で、
自然に戻ってくることがあるのかもしれません。
カウンセリングでも、
今ここで起きている感覚や気持ちを大切にしながら、
その人の中にある小さな動きや回復の芽を、
一緒に見ていくことを大切にしています。
よろしかったら、当オフィスのカウンセリングについてもご覧ください。
この記事を書いた人
町田美佳|臨床心理士・公認心理師|マチダ心理臨床オフィス(市ヶ谷・麹町・四ツ谷)
愛着や人間関係、生きづらさ、支援職の悩みなどについて、感情や身体感覚を大切にした心理カウンセリングを対面とオンラインで行っています。