大人になっても親との関係が苦しいあなたへ|アダルトチルドレンが感情に蓋をする理由
「親になる試験があればいいのに」ーあるアダルトチルドレンの方の言葉
「親になる試験があればいいのに」
まだ私が駆け出しの心理士だった頃、あるクライエントの方が言った言葉です。
その方は、親に支えられる側ではなく、むしろ家族を支える側に立たされてきた人でした。
いわゆる、アダルトチルドレン(AC)と呼ばれるような育ちを経験してきた方です。
本来なら親が担うはずのものを、子どもであるその方が背負ってきた。
その言葉を聞いたとき、私は深く納得したことを覚えています。
本当にそうだ。
親が親の役割を果たしてくれなかったから、この人はこんなに苦労してきた。
親になるにも試験があって、親になる準備のできた人だけが親になれたなら、子どもはこんなに苦しまなくて済んだのに。
そんなふうに感じたのだと思います。
でも、30年近く経って、さまざまな方のお話を聞いてきた今、その言葉の響きが、私の中で少し変わってきました。
「親になる試験があればいいのに」という言葉には、自分の親には親になる準備ができていなかった、という痛みがあっただろう。
子どもである自分が、あまりにも多くのものを背負わされたという怒りもあったはず。
けれど同時に、そこにはどこかで親を庇うような響きもあったのではないか。
親にも、親になるための学びや支えがあれば、こんな親にはならなかったのかもしれない。
そういう、責め切れなさのようなものも含まれていたのではないか。
今は、そんなふうにも感じます。
はたから見れば、とても過酷な状況に置かれていた。
子どもが背負うには重すぎるものを背負わされていた。
家族を経済的に支え、介護やお世話をし、時に家族の中で仲介役や緩衝材として立ち回り、家族の精神的な大黒柱としての役割を背負わされていた。
今振り返れば、機能不全家族であり、「毒親」と呼ばれるような関わりだったのだろうと思います。
それでも、その方は少しユーモアを含んだ言い方で、「親になる試験があればいいのに」と言いました。
親を責められなかったのにも、理由がある
毒親だと簡単に言えれば、苦しみは少なかったのかもしれません。
けれども、
親がひどい。
親が親の役割を果たしてくれなかった。
子どもである自分が、親のような役割を担わされてきた。
そう感じることは、親との関係の中ではとても危険なことだったのだと思います。
子どもにとって、親は簡単に離れられる相手ではありません。
簡単に切り捨てることも責めることもできない。
その親のもとで生きていくしかないとき、「親がひどい」「私は大事にされていない」と感じることは、あまりにもつらく、危険です。
小さな子どもは、育ててくれる親が必要だから。
お世話をしてくれる親がいないと、生きていけないから。
だから、親を責めるよりも先に、自分の気持ちに蓋をするしかなかった。
あなたが弱いからではないのです。
感情に蓋をするのは、生き延びるため
だから、心は蓋をする。
たいしたことではないことにする。
自分が我慢すればいいことにする。
親にも事情があったのだと思う。
自分の感じ方の方を疑う。
それは弱さではなく、そのとき必要だった生き延び方だったのです。
でも、大人になってから、その蓋をし続けることの代償が大きくなってくることがあります。
自分の気持ちがわからない。
どうしたいのかわからない。
人の顔色を窺ってしまう。
親しい人といても緊張が抜けない。
生き生きと生きている感じがしない。
身体の不調として表れる。
疲れているのに休めない。
自分を責めてしまう。
心が感じないようにしてきたものが、身体や日常の苦しさとして表れてくることもあります。
ここでのカウンセリングでは、蓋をしてきた感情を無理にこじ開けることはしません。
感情に蓋をしてきたのには、理由があります。
その蓋は、その人を守ってきたものでもあるからです。
親との関係を守ってきたものでもあります。
だから、まずは今ここで何が起きているのかを、大丈夫な分だけ、一緒に丁寧に見ていきます。
親の話をすると身体が固くなる。
声が小さくなる。
頭ではわかっているのに、気持ちはついてこない。
涙が出そうで出ない。
怒りがあるはずなのに、すぐに「でも」と打ち消してしまう。
何も感じないような感じがする。
そうした反応も、大切な手がかりです。
感情の蓋を開けるとは?ーカウンセリングで行うこと
AEDP®️をベースにした私のカウンセリングでは、つらかった感情を一人で抱え直すのではなく、カウンセラーと一緒に、圧倒されない範囲で少しずつ見ていきます。
怒り、悲しみ、寂しさ、恥ずかしさ。
蓋をしてきた感情は、どれもその人にとって大切な情報を伝えようとしていることがあります。
怒りが教えてくれること:
怒りは、「それは本当は嫌だった」「それはおかしかった」「自分はそんなふうに扱われたくなかった」と教えてくれることがあります。
悲しみが教えてくれること:
悲しみは、「本当は大切にされたかった」「わかってほしかった」「守ってほしかった」という叶えられなかった願いに触れさせてくれることがあります。
寂しさが教えてくれること:
寂しさは、「ずっと一人で抱えてきた」「本当は誰かにそばにいてほしかった」「一緒に感じてくれる人が必要だった」ということを教えてくれることがあります。
恥ずかしさが教えてくれること:
恥ずかしさは、「こんな自分では愛されない」「迷惑をかけてはいけない」「弱さを見せてはいけない」と信じるようになった背景に気づかせてくれることがあります。
そして、その恥は、本来あなた自身に原因があったのではなく、育ってきた環境の中で身につけざるを得なかったものかもしれません。
感情が見つけてもらい、一人ではなく誰かと一緒に感じ切ることができると、その感情が本当は何を伝えようとしていたのかが、このように少しずつわかってくることがあるのです。
それは、ただ過去を思い出して苦しくなることではありません。
一人で抱えるしかなかった体験(感情)を、今度は一人ではなく、安心できる関係の中で感じ直す(体験し直す)ことでもあります。自分が何を感じ、何を失い、何を大切にしたかったのかを取り戻していくことでもあります。それは、回復の入り口となり、あなたがあなたらしく生きていく新たなスタートになります。
もし、蓋をした感情を見つけていくことが怖い、難しい、よくわからないとあなたが感じているとしたら、カウンセリングを通して、カウンセラーと一緒にあなたのペースで取り組むことができるということをお伝えしたいです。
取り組んでみようというあなたの勇気ある一歩を、いつでもここでお待ちしています。
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感情に蓋をすることで身につけた生き方は、大人になってから仕事や人間関係の中にも現れることがあります。続けてこちらの記事もどうぞ。
👉 仕事では頑張れるのに、休み方がわからないあなたへ|仕事モードが切れない理由
この記事を書いた人
町田美佳|臨床心理士・公認心理師|マチダ心理臨床オフィス(四ツ谷・麹町・市ヶ谷)
愛着や人間関係、生きづらさ、支援職の悩みなどについて、感情や身体感覚を大切にした心理カウンセリングを対面とオンラインで行っています。